最高裁判所第二小法廷 昭和31年(あ)1708号 判決 1960年6月24日
主文
原判決を破棄する。
本件を大阪高等裁判所に差戻す。
理由
弁護人江口十四夫、同林三夫の上告趣意第一、二点は、違憲を云うところもあるが、その実質は原判決の事実誤認を主張するものであって、上告適法の理由とならない。
職権をもって審査するに、本件罪となるべき事実として一審判決によって確定されたところは、「被告人は義弟の森田正一と共に被告として、川辺郡長尾村下中筋の坂上ぎんより、貸金百十万円の連帯保証債務について訴訟を提起されて、該訴状は神戸地方裁判所伊丹支部より、昭和二九年三月六日送達されてこれを受領したものであるところ、右債権に基く強制執行を免れる目的を以って、被告人の妻時子と共謀の上、昭和二九年三月下旬頃被告人所有に係る川辺郡長尾村中筋字大東町三七番地の一の宅地一六坪同番地の三の七坪の土地並に同所五二番地上の木造瓦葺平家建居宅一棟建坪二二坪五合、附属物置三坪の建物を仮に長女妙子名義に移すことを企て、同年四月一日頃伊丹市伊丹六八七番地司法書士大石保芳方にて同書士に、贈与証書を作成せしめた上、これに伴う所有権移転登記申請関係書類をも作らせ、同書士の手を経て、同年四月一二日神戸地方法務局伊丹支局に於て、その登記を終了し、以って右不動産を妙子名義に仮装譲渡したものである」というにあり、原判決も右認定を肯認して、「原判決引用の証拠によれば、被告人は坂上ぎんに対し判示の如き保証債務を負担するものであることを認められないことはない」とし、「被告人はこの債務に基き坂上ぎんより判示訴訟を提起され」て云々と判示している。
しかるに、右保証債務については、坂上ぎん対被告人の前示保証債務履行請求の訴訟において、第一、二審ともに坂上ぎんが敗訴し、右保証債務の存在しないことは確定判決によって当事者間に確定されたことは記録添付の同事件における一、二審判決書の記載に徴し明らかである。そして、右判決書の記載によれば、右一、二審裁判所は、いずれも、その挙示する証拠によって、本件連帯保証は被告人の妻時子が被告人の承諾を得ることなく被告人の実印を貸借証書に押捺してしたものであって、被告人の関知したものでない事実を認定したことがあきらかである。してみれば原判決が前示のように本件保証債務の存在を「認められないこともない」とした事実の認定については多分に事実誤認の疑ありと云わざるを得ない。
およそ刑法九六条の二の罪は、国家行為たる強制執行の適正に行われることを担保する趣意をもってもうけられたものであることは疑のないところであるけれども、強制執行は要するに債権の実行のための手段であって、同条は究極するところ債権者の債権保護をその主眼とする規定であると解すべきである。同条は「強制執行ヲ免ルル目的ヲ以テ」と規定しているのであるが、その目的たるや、単に犯人の主観的認識若しくは意図だけでは足らず、客観的に、その目的実現の可能性の存することが必要であって、同条の罪の成立するがためには現実に強制執行を受けるおそれのある客観的な状態の下において、強制執行を免れる目的をもって同条所定の行為を為すことを要するものと解すべきである。そして、いかなる場合に強制執行を受けるおそれありとみとめるべきかは具体的な事案について個々に決するの外はないのであるが、本件のように、何らの執行名義も存在せず単に債権者がその債権の履行請求の訴訟を提起したというだけの事実をもっては足らず、かくのごとき場合に本条の罪の成立を肯定するがためには、かならず、刑事訴訟の審理過程において、その基本たる債権の存在が肯定されなければならないものと解すべきである。従って、右刑事訴訟の審理過程において債権の存在が否定されたときは、保護法益の存在を欠くものとして本条の罪の成立は否定されなければならない。
しかるに本件においては、被告人の本件行為の当時債権者は保証債務履行請求の訴を提起していたことは原判決の確定するところであるけれども、被告人は同訴訟において極力右債務の存在を争っていたのであり、原審はその審理過程において証拠に基き右債務の存在を肯認したのであるけれども、右事実の認定に関し原判決に事実誤認の疑ありとすべきこと前叙のごとくである以上、この誤認は本件犯罪の成否に影響を及ぼすものであること前段説示のとおりであるから、原判決はこの点において破棄を免れないものといわなければならない。
よって刑訴四一一条三号四一三条本文により原判決を破棄し、本件を原裁判所である大阪高等裁判所に差戻すべきものとする。
この判決は、裁判官池田克の反対意見あるほか、その余の裁判官一致の意見によるものである。
裁判官池田克の反対意見は、次のとおりである。
強制執行を免れる目的をもってした財産の隠匿、損壊、仮装譲渡等債権者を害すべき行為については、改正刑法仮案(昭和一五年)においては、債権者の保護を主眼とする立場から、これを財産犯の一種として「権利ノ行使ヲ妨害スル罪」に関する章中に規定(四六二条)していたのであるが、刑法においては、昭和一六年法律六一号による一部改正の際、これを九六条ノ二として「公務ノ執行ヲ妨害スル罪」に関する章中に規定したのである(なお、今次の改正刑法準備草案一六九条もまた同様である)。けだし、その趣旨とするところは、債権者の保護もさることながら、右の行為が民訴法の強制執行を免れることを目的として行われるものである点を重視したからであって、すなわち、強制執行の機能を保護することを主眼として公務執行妨害罪の一種として規定したものに外ならない。
従って、構成要件的には、刑法九六条ノ二の規定する強制執行妨害罪にしても、改正刑法仮案四六二条の規定する権利行使妨害罪にしても、いずれも強制執行を免れる目的をもって財産を隠匿、損壊、仮装譲渡する等債権者を害すべき行為をしたことを要素としており、その間に差異がないけれども、保護法益の観点からみると、両罪とも債権者の債権と強制執行の機能との二つを保護法益としながらも、権利行使妨害罪においては債権者の債権の保護に、強制執行妨害罪においては公務たる強制執行の機能の保護に、それぞれ重点が指向されているのであるから、権利行使妨害罪については、多数意見のように「刑事訴訟の審理過程において債権の存在が否定されたときは、保護法益の存在を欠くものとして本罪の成立は否定されなければならない」と解釈することも、財産犯とみる限り全く許容できないことではなかろうが、公務執行妨害罪とされている強制執行妨害罪については、このような解釈を容れる余地がない。
というのは、刑法九六条ノ二の「強制執行」には、本条の趣旨に照らし確定の終局判決または仮執行の宣言を付した終局判決によってなされる(民訴四九七条)ものの外、仮差押(同七三七条)、仮処分(同七五五条、七六〇条)のように常に権利関係に争のあることを建前とする保全執行の如きも当然に含まれるものと解すべきだからであり、しかも、この解釈による以上、債権のないところにも、なお、強制執行の機能保護の法益は存在するものというべきだからである。
されば、いやしくも強制執行を免れる目的をもってその対象となるべき財産の仮装譲渡その他刑法九六条ノ二列記の行為をしたときは、強制執行妨害罪は成立するものと解すべく、後日、民事本案訴訟において債権の存在しないことが確定判決によって当事者間に確定されても、また、刑事訴訟の審理過程において債権の存在が否定されても、これがためすでに成立している強制執行妨害罪に影響を及ぼすものとはいえない。
ところで、強制執行妨害罪は、刑法九六条ノ二の文理面では、もとより行為の時期の如何を問わないものと解されるが、しかし、その行為のなされる客観状態につき構成要件上必要とされるものがあるかどうかについて考えてみると、本条において強制執行妨害罪の客観的違法要素として列記されている行為のどの一つをとっても債権者を害すべき行為であること、しかも、それが強制執行を免れる目的(主観的違法要素)によって結合されているのであるから、そのような行為は、少なくともその者が、保全執行等を含む強制執行を受けるおそれのある状態の下にあることを前提とするものというべきであり、かかる客観的な状態の下にあるに際して債権者を害すべき行為をしたときは、すなわち、本条の保護法益侵害の具体的危険性を生じたものとして可罰性を付与したものと解するを相当とする。そして、強制執行を受けるおそれのある状態であったかどうかは、具体的事案について個々に決定するの外はない。
よって、これを本件についてみると、証拠によれば、(一)被告人の義弟森田正一は、坂上ぎんに対して一一〇万円の貸金債務を負担し、同債務につき貸借証書上、被告人が連帯保証人となっていたこと、(二)被告人は、森田正一と共に被告として坂上ぎんから一一〇万円の連帯保証債務について訴訟を提起され、その訴状の送達を受けたこと(この訴訟において仮執行の宣言が求められている)、(三)債務者森田正一は、当時無資産になっていたので、被告人は、敗訴の場合にそなえて、あらかじめ自己の財産の保全を図り強制執行を免れるため、妻と共謀の上、本件土地家屋を長女名義に仮装譲渡したことが認められ、被告人は、まさに強制執行を受けるおそれのある状態の下にあったとするに十分である。多数意見のように、「単に債権者がその債権の履行請求訴訟を提起したというだけの事実」に止まるものではない。多数意見は、刑法九六条ノ二の法意を不当に制限する解釈に立って右事実関係を看過するもので賛同することができない。なお、多数意見は、原判決が「一審判決引用の証拠によれば、被告人は坂上ぎんに対し保証債務を負担するものであることを認められないことはない」としたのを批判するのであるが、原判決の右判示は蛇足に過ぎないものと解される。これを要するに、原判決は、結局正当に帰し、本件上告は、これを棄却すべきものである。
(裁判長裁判官 小谷勝重 裁判官 藤田八郎 裁判官 池田 克 裁判官 河村大助 裁判官 奥野健一)